タイトルのこの言葉、もちろんそのあとには「ところが」が続きます。これはイギリスのある司教の棺に記されている、辞世の詩、だそうです。続きをご紹介しますね。
「私は若い頃、世界のすべてを変えてやろうと思った。ところが、世界はなかなか変わらなかった。そこで私は視点を変えて、それでは教会を変えてやろうと思った。しかし努力してもなかなか変わることはなかった。そこで私は、また視点を変えた。教会が変わらないのだったら家族を変えてやろうと。しかし、その家族すら変えることができなかった。そして今、私は死の床にある。その今になって気づいたことがある。それは、自分が変わらなければ何も変わらないということだ。」
私もこれと同じ考えを持っています。「変えられるのは自分だけ」。自分が変わると、自ずと見える世界も変わってきますよね。世界を変える、とは、むしろそのことなのかもしれません。また、自分以外のものは変えられないということを前提にすれば、他人や外界の全ての事象が自分の思い通りにならなくても、それがストレスになることもありません。
この司教さまが「今になって気づいた」と言うのは話を強調するためで、それに気づいたのはおそらく、もっと前のことだったしれませんし、また変えようと思ったものの順番も、家族やもっと身近な対象だったかもしれませんね。
では、そもそも自分は変わる必要があるのか?
私は絶えず、変わり続けることを求める性質のようです。理想があって、現実がある。その間にギャップがあるからこそ、それが適度なストレスとなり、変化への衝動に繋がるのだと考えています。
さて、ダイエットブログとしてスタートしたこのサイトで、唐突にこんなことを言い始めちゃって、ゴメンなさい。リバウンドもなく安定した食生活が続き、ネタ切れ・・い、いやいや、実は最近の思いとして、中高年が元気になれるような活動に、少しでも貢献したいなと。このブログを、ダイエットだけでなく、生き方の指針になるような情報をまとめていければいいかな、と思っているんですよね。
そして、そんなことを言える存在になるために、自分もがんばる。そういう位置づけにしていきたいと考えています。
ちなみに、上述の司教さまの言葉はこの本から引用しました。
とても面白い著作です。内容についてはまた後日、記事にしますね。
【今日の感謝】
- 清々しい日曜日でした
- 健康でした
- ウォーキングや書き物など、今やるべきことができました
- カフェで快適に過ごせました
- 考えがまとまりそうな良い予感がします
- 余計なものを食べずに済みました
- 美味い酒が飲めました
- 明日からの新しい週に楽しみなことがあります
【やせる晩酌】
皮むいて、切っただけーww
わさびと刺身醤油で。冷や酒がすすむー
わりとヘビロテ。
熊谷章洋公式サイト